今週も1日の日曜日に、ヤング礼拝が捧げられました。司会者がお祈りして進めました。
賛美リーダーが礼拝賛美を導いています。
リモートで賛美奉仕をしています。
心を込めて、主をほめたたえる賛美を捧げます。
特別賛美も捧げられました。
主をほめたたえるのは、恵みです。
お祈りの後に、後半賛美も捧げます。
次はメッセージの時です。
"あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。"
申命記 1章40節
メッセージでは、まずウクライナのためにお祈りをしました。
さて、今日の聖書箇所の「申命記」には、神様の約束の成就の時が来ましたよ、というメッセージが書かれています。
今日の聖書箇所は、11月のイスラエルチームでの新年礼拝で語られた御言葉です。
教会に与えられた約束の成就は、1人ひとりを通して現されますが、しかしそれは教会を通して神様が働きを与えて下さるものなのです。
今捧げたそれぞれの賛美曲も、神様が教会に与えられた曲なのです。
《教会の恵みによって与えられるのです》
先ほど賛美しました曲の一つPraise Godは、この教会の方が作詞しました。
この曲は、パウロ牧師が白馬キャンプで語られたことばを歌詞にして出来た曲だそうです。ここに、教会の恵みが現れています。
また、私はテレビを見るのが好きで、休みの日にはたくさん見ていましたが、見終わると虚しいのです。そこで、これは神様に捧げて、見ないようにしようと思いましたが、つい見てしまいました。
しかし、教会の聖会で「やめられないことを捧げる時、神様の働きが進みます。」と語られたら、神様に触れられて、全く見たくなくなったのです。
自分の力ではできませんが、教会の恵みの中で止めることができました。
イスラエルの民は、神様に選ばれた民でしたが、エジプトから約束の地カナンに入るのに40年もかかりました。神様の素晴らしい奇跡をたくさん体験したのに、罪を犯し続け、霊的な弱さがありました。
(私たちの教会のこれまでの歩みでも)自分は罪人で、どうしようもない者であるこを自覚させられた、とパウロ牧師は話されました。
パウロ牧師のこのメッセージを聞いて、自分は安心しました。自分もこのままでいい、神様無しでは自分は何も出来ないことを知ったのです。
祈れない自分、従えない自分、その中で祈り従えたのは神様の恵みがあったからなのです。
私はイエス様に出会う前は、家族に「おはよう」も言えず怒っていたのです。祈ることも出来なかったのです。
しかし、そんな自分に頼るのではなく、あなたはキリストによって大きな神様の働きを担うことを語られでいる、と教会を通して言われたのです。
テレビドラマを見ないことすら出来ない自分、しかし神様には、恵みによって簡単にできるのです。神様が語られたことは、神様が成就してくださるので心配する必要がないのです。
神様により頼むなら、神様がなして下さいます。もっと大きなことに導いて下さるのです。(神様の働きは)地の果てまで、なのです。
ヤング礼拝に集っている人々も、きっと遣わされます。教会の御体の働きの中でです。
新年度の教会に与えられた御言葉を信仰で受け取って、主の祝福を見ていきましょう。
「あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。」(申命記 1章40節)
祝祷をして終わりました。