神様が味方

“東フィラデルフィヤ教会日記” 教会メンバーが思い思いにつづります

ヤング礼拝です!

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主をほめたたえるヤング礼拝です。

アナウンスをして、お祈りして始まりました。
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賛美で主をほめたたえることは、

とても幸いなことなのです!

心を込めて賛美すると、神様の恵みが分かってきますよ。

 

お祈りのあとに、次は特別賛美です。

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賛美の恵みをうけながら歌いました!

 

次は後半賛美です。

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詩篇を歌っています。
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主は生きておられ、神様に不可能はない
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メッセージです。

聖書を開きます。
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今日の聖書箇所は2箇所です。

一箇所は、

"しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。"
ガラテヤ人への手紙 6章14節

もう一箇所は、

"彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。"
創世記 15章6節

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 さて、今はワールドカップですね。素晴らしい選手のプレーは見ているだけでも、勇気を与えられます。

 

 しかし聖書では、主イエス様の十字架以外に

誇りとするものがあってはならない、と書かれています。

 これは、私たちが頼りがちな健康、お金、能力、そしてスポーツなども、それを一番の頼りにしてはならないと言うのです。

 

 私たちが頼りとするのは、イエスキリストの十字架だけです。十字架による私たちの罪の贖いだけが完全なのです。

 

 今日読んで頂いた創世記15章6節には、アブラハムが神様の約束を信じたとあります。

 彼の子孫は空の星のようになる、数えきれないほどになる、という約束です。

 アブラハムは信じたので、彼は神様に義と認められたのです。義と認められるとは、正しいとされることです。彼の性格や実力で認められたのではありません。ただ信じたことが認められたのです。

 

 アブラハムは立派な人のように見えますが、実は、エジプトに避難しなければならなかった時、嘘を言いました。

 治安が悪いせいもありましたが、自分の奥さんが綺麗だったので、アブラハムは身の安全を優先して、これは妹です、と偽りをいいました。その国の王様に召し抱えられたアブラハムの妻は、神様の助けにより、すぐに戻されましたが、この件を見ても、アブラハムは特別優れた人ではありませんでした。

 

 ただし、彼は、神様の言葉を単純に信じたのです。その信仰により、彼は神様から義と認められたのです。

 

 私たちも、自分の優れた行いによって救われるのではありません。

 イエス様の十字架を信じること、それによってのみ、救われるのです。そして、神様の言葉に従い続けることによって、アブラハムのように神様の祝福を受けてゆくことができるのです。

 

 私たちは、イエスキリストの十字架による私たちの罪の贖いを認め、自分が罪人であることを認め、神様により頼んでいくことが大切です。 

 

 そのことにより、私たちは正しい者とされ、主の恵みを受けてゆくことができます。

 神様から与えられている、素晴らしい言葉の成就を見ていきませんか。

 ここで今日の聖書箇所をもう一度読みました。

 最後に、祝祷をして終わりました。

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